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コロナ疲れの処方箋 仏教的こころの整え方 vol,1

コラム2020/04/23

コロナ疲れの処方箋 仏教的こころの整え方 vol,1

コロナ疲れの処方箋 仏教的こころの整え方 vol,1

全都道府県に緊急事態宣言が発令されてから約1週間が経ちました。
慣れないテレワークや外出もままならない中、「自分も体調が悪くなるのではないか」、「この先、仕事や社会はどうなってしまうのだろう」…。そんな不安で落ち着けない人も多いのではないでしょうか。
世の中の人々の苦しみや不安に対し、古くから広く処方を説いてきたのが仏教です。いわば僧侶は「心を整える」プロ中のプロと言えます。
では、目下のコロナ禍の不安に対しては、どのような仏教的処方があるのでしょうか。MBAホルダーの僧侶という異色の経歴を持ち、仏教界の若手リーダーとして注目されている松本紹圭さんですが、現在の緊急事態宣言下での不安感、リモート勤務での孤独感に対処する方法などの解決策を2回に渡ってご紹介させていただきます。(newspicks)

松本紹圭さんって?

1979年北海道生まれ。東京大学文学部哲学科卒業。超宗派仏教徒のウェブサイト『彼岸寺』(higan.net)を設立、お寺カフェ『神谷町オープンテラス』を運営。2010年、南インドのIndian School of BusinessでMBA取得。2012年、お寺の経営を指南する「未来の住職塾」を開講。2013年、世界経済フォーラム(ダボス会議)のYoung Global Leaderに選出される。著書に『お坊さんが教えるこころが整う掃除の本』(ディスカヴァー21社)など。
HUFFPOST  https://www.huffingtonpost.jp/author/shokei-matsumoto/

禅語が意味する「平常心」とは

今のような危機の時こそ、「平常心(びょうじょうしん)」を持つことを意識することが大切です。一般に平常心(へいじょうしん)というと、「何が起こっても落ち着いてブレない心」のようなものをイメージするでしょう。
禅語における平常心は「びょうじょうしん」と読み、平常心(へいじょうしん)とはずいぶん違う意味で使われています。
鎌倉・円覚寺の横田南嶺老師は、この平常心(びょうじょうしん)を、次のように語っています。

「造作無く、是非無く、取捨なく、断常無く、凡聖無し」

要は、作り事はしない、良し悪しを判断しない、凡人と聖人を区別しないなど、「ありのままの心」でいること。それが禅語における平常心の意味です。横田老師は、「その心がそのまま生きる道であり、仏でもある」とも語っています。ここで大事なのは、「平常心=いつも通りの心」という意味ではないということ。そもそも、多くの人にとっての「いつも通り」とは、頭の中で生み出した作り事なのです。

正常性バイアスを取り除く

世の中では様々な問題が起きますが、「自分だけは大丈夫だな」という感覚を持っている人は少なくないでしょう。このような感覚を、心理学では「正常性バイアス」と言います。
私たちは平常時から、そのようなバイアスに満ちた視点で世界を見ています。例えば、ほとんどの人は、「まさか自分がすぐ死ぬことなんてない」という正常性バイアスの中で生きています。
しかし、現実(真理)はどうでしょう。人の死亡率は常に100%です。どんなに富や地位を築いても、人間には、全てを手放して死んでいく結末しかありません。にもかかわらず、人は誰しも、物事を都合よく見たり、見たくないものを見ないようにして、日々をやり過ごしています。
多くの人が、平常時は「作り事をしない、何の造作もしない、ありのままの心」という平常心(びょうじょうしん)から、かけ離れた心持ちで生きているのではないでしょうか。その意味で、禅語の平常心は、「非常時に平常時の心持ち(正常性バイアス)を保ちましょう」ではなくて、「平常時からダイナミックに変化し続ける瞬間瞬間をありのままに捉え、常に非常時のように生きましょう」というメッセージなのです。

スティーブ・ジョブズの自問

ありのままの心でいようと、言葉で書くのは簡単です。しかし、何事も実践こそが難しい。自分は必ず死にゆく存在であると自覚し、それを受け入れて日々を過ごしましょう。

 遅かれ早かれ、必ず死ぬ。それが人生です。逆説的ですが、そのことをよくよく見つめて受け入れられるようになると、不安は薄れ、禅語の平常心に近づけるでしょう。
 今回のコロナ・ショックは、正常性バイアスを外して、物事をありのままに見直すチャンスです。仕事や生活の中で、これまで向き合ってこなかった問題を見直す工夫をしてみましょう。 あのスティーブ・ジョブズも、2003年に膵臓癌と診断されてから、「今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは、本当に自分のやりたいことなのか?」と自問するようになったと言います。

「オンライン」が孤独の原因?

今は、会社に勤める多くの人が自宅勤務になり、オンラインでのミーティングが増えています。一人暮らしで、外出自粛が続くと、孤独感が強くなる気持ちはよく分かります。そこで、オンラインで飲み会をするような、新しい流行も生まれています。
しかし、問題は、オンラインでつながる仲間がどれだけいるか? ではありません。オンラインであれオフラインであれ、何かで孤独感を紛らわそうとすることは、初めから気休めに過ぎません。気休めは気休めとして楽しむことを、否定はしません。大事なのは、その行為が気休めであると知った上で行うことです。以下、『仏説無量寿経』の一節から引用。

「独生独死独去独来(独り生まれ独り死し、独り去り独り来たる)」

「私」は、他の誰かの人生を代わりに生きることはできないし、私の人生を他の誰かが代わりに生きることもできません。つまり「私」は初めから孤独で、これからもずっと孤独なのです。
リモートワークで孤独を感じたら、その原因はリモートワークにあるのではなく、もともと孤独だったことが明らかになっただけ、と受け止めるところから始めてみてはいかがでしょうか。その上で、刹那の「つながり」を楽しむようになると、少しずつ見える景色が変わっていきます。
今まで当たり前と思っていた人との出会いや、身の回りにある何気ない風景が、死を覚悟した時から急に輝いて見えるというのはよく聞く話です。この変化を自覚できるようになるだけでも、大きな収穫と言えるでしょう。
孤独感は、「自分はこれまでの人生、本当に生きていたと言えるのだろうか」と問いかけてきます。今は、生きる意味を問い、生きているという感覚を取り戻す、絶好のチャンスです。