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医療法人豊隆会ちくさ病院在宅医療

ネガティブ・ケイパビリティという処方箋

コラム2023/01/31

ネガティブ・ケイパビリティという処方箋

「ネガティブ・ケイパビリティ」という概念をご存知ですか。

医療関係の方なら一度は聞いたことがあるかもしれませんが、2017年に精神科医の帚木蓬生氏が『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』(朝日選書)を出版し、臨床現場でも実践され、広く知られる概念となりました。

今回はネガティブ・ケイパビリティについて、解説させていただきます。

ネガティブ・ケイパビリティとは

ネガティブ・ケイパビリティとは、「「負の能力」「陰性能力」などと訳され、「事実や理由をせっかちに求めず、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいられる能力」、「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」のことをいいます。

人間はわからない状態が苦痛、物事を性急に「理解」しようとする傾向がある

人間の脳は生来、物事を「分かろう」とする性質があり、文字や数字、図形などの記号によって世界を記すことや、何かしら一貫した法則を見出したり、歴史的に見ても「分かる」ために様々な努力をして発展してきました。

いわゆるすぐに解がでるハウツー本が流行るのも、「分かろう」とする姿勢の現れといえます。

しかし、「分かろう」として、ごく浅い理解でとどまってしまうことがあるといいます。

浅い理解と深い理解?

神経心理学者の山鳥重氏は、「分かる」には浅い理解と深い理解があるとしています。

浅い理解とは、小さな理解を積み重ねて全体を理解しようとする、いわば「重ね合わせ的理解」です。

それに対し、深い理解とは「発見的理解」です。

これは、自分で立てた仮説に沿って物事を観察し、仮説を検証することのくり返しによって到達できる理解のことを指します。

不可解な事柄を無視したり、拙速な答えを出したりせず、その宙ぶらりんな状態を観察し続けることが求められます。

つまり、深い理解とはネガティブ・ケイパビリティによってもたらされるといえます。

例えば、「分かろう」とする脳が、分からないものを前にしたときに苦しむ代表例として、音楽と絵画が挙げられます。

クラシック音楽や抽象画に初めて接すると、多くの人は「分からない」といいます。

しかし、分かることを拒否した上で、高い次元で感覚に訴えかけてくるのが、音楽や抽象画です。

脳はそこで「分かりたい」という欲望から解放され、進化した喜びを感じているかもしれません。

ネガティブ・ケイパビリティと医療

現代の医学教育は、なるべく早く患者の問題を見つけ、すみやかに解決を図ろうとするネガティブ・ケイパビリティの逆の「ポジティブ・ケイパビリティ」が重視されています。

SOAPは切れ味の鋭いナイフ?

医療現場で使われる記載方法にSOAPがあります。

SOAPとは、Subject(患者の主観的な言動や症状)、Object(主治医が診察や検査で得た客観的なデータ)、Assessment(SとOからの判断評価)、Plan(解決のための計画、治療方針)の頭文字を取った診療録であり、この方法をとると、問題の早期発見や迅速な解決につながります。

現実は簡単に鋭利なナイフできれるものではない

現実の患者さんは、問題が見つからない場合や、複雑すぎる場合、そもそも解決策がない場合だってあります。

例えば、末期がんの患者さんを前にしたとき、主治医は、はたして、SOAPのナイフで患者さんを綺麗にきれるでしょうか。

S:患者さん苦しいといいます

O:客観的にみても苦悶顔です

A:末期がんの状態

P:手の施しようがありません

こうなるとポジティブ・ケイパビリティのみ身につけた主治医は、もう患者さんの傍にいること自体苦痛を感じます。

なぜなら表立って何もしてあげられないからです。

終末期医療では何か必要か

著者の言葉を借りれば、「生まれたばかりの手つかずの心、赤子の心で、死にゆく患者と対峙する」すれば、「主治医と患者の間で交わされる言葉の一言片句が千鈞の重みを持ってくる」といい、主治医の処方を、「日薬」と「目薬」という言葉で表現しています。

「日薬」:「何事もすぐには解決しないが、何とかしているうちに何とかなる」

「目薬」:「あなたの苦しい姿は、主治医であるこの私がこの目でしかと見ています」

 

じっと耐える際、帚木氏はネガティブ・ケイパビリティだといい聞かせながら、患者に向き合っているといいます。

医師に限らず、終末期の患者と接する場合は、ネガティブ・ケイパビリティを言い聞かせて、向き合うことが大切ではないでしょうか。

まとめ

今回帚木氏の『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』(朝日選書)を紹介させていただきましたが、お伝えしきれていない部分でも、プラセボ効果とネガティブ・ケイパビリティ、シェイクスピアと紫式部のネガティブ・ケイパビリティ等々。

本書の魅力はこれに尽きないので、ぜひ御一読をお勧めいたします。